松代地震センター設立の経緯
昭和40年(1965年)8月3日の3回の無感地震から始まった松代地震は、昭和41年(1966年)4月17日には、無感6119回、有感661回(うち震度5と4が各3回)の計6780回の地震が観測されるなど、それまでの群発地震とは比較にならないほどの激しい地震活動になり、当時は大きな社会的問題となりました。この群発地震は、次のような重要な意義をもっています。
- 激しい地震活動が約2年間も続いたため、震源域内で各種の観測が行われ地震予知研究に画期的な進歩をもたらしました。
- 関係各機関が共同して観測を行い、「北信地域地殻活動情報連合会」に観測データをもちより、学術的に検討し、見解の統一と情報の一元化を図り、学問・行政・報道関係者および住民が一体となって地震防災に取り組むことができました。後の「地震予知連絡会」は、このときの北信地域地殻活動情報連絡会がモデルとなりました。
- 予想される災害に対して「災害救助法」が適用され、大きな災害が発生する前に国が市町村の防災事業に対する特別交付税などの予算化を図りました。
この地震の貴重な科学的および社会的な経験と成果が地震予知の推進と災害対策に大きな前進をもたらし、昭和53年(1978年)に施行された大規模地震対策特別措置法の制定の考え方の基礎となり、現在の東海地震の常時監視体制にも生かされています。
松代群発地震を契機として、地元の県や市は、広く地震に関する総合的研究機関を当地に創設することを国に要望しました。当時、松代町長であった故中村謙次郎氏は、「物・金より学問・研究がほしい」という名言を残しましたが、当地を観察した佐藤首相も中村町長の熱意に動かされ、地震研究機関の設置を約束しました。
その後、政府関係機関の協議の結果、地元の県を含めた、科学技術庁(担当:防災科学技術研究所)、気象庁などの関係各省庁の研究機関による協議体として、地震に関する資料センター的性格を持つ「松代地震センター」を設置することが、昭和41年(1966年)11月29日に閣議決定されました。
事務所は気象庁松代地震観測所(現精密地震観測室)内に置くことで昭和42年(1967年)2月8日から業務を開始しました。
松代地震センターは松代地震などの群発地震や過去の大地震に関する調査、記録・資料の解析・整理・保管、地震知識の啓発、県下の地震対策への協力および地震に対する問い合わせの応答などを行っています。